ばのブログ

フルゆとり世代の俺

ふわっとした甘さが久々に浮かんだ

見聞きする物語はいつだって既製品で誰かを何かを経て自分に届く。
なにも完成した完結したものだけが既製ではなくて、
自分のところに届く頃に届くまでの過程はどうしたって既製してると言える。
ただ1つだけ既製せずに追い続けられるのはまぎれもなく自身の出来事だけで、何かが生まれ、作り、完成するまでを世に出ていないオリジナルを堪能できるのは私だけ。それは誰かに比べると見劣りするかもしれない。
それでも自分だけしか知らない小さな出来事を貯金していったら、少しだけ幸せになるのかな。