ばのブログ

フルゆとり世代の俺

気をつけようじゃない。これを生んだのは私自身だ。

人身事故が起きた。ため息が聞こえた。ため息が出た。人が亡くなって悲しいはずなのにため息が出た自分が嫌いになった。結局私は自分のことしか考えていない。この事故での経済的な損失だとか重要な予定や約束やその他諸々の事情に支障をきたした人達がいて、そんな人達のため息はごもっともかもしれないし私が判断することでもない。それよりも仕事が終わって帰っているだけの私から出たため息に誰よりも私自身が失望した。みんながそうだから私もそうしたわけじゃない。右に倣ったわけではなかった私のため息はまた多くのため息を生んだかもしれない。飛び込んだ人が周りを気にする余裕なんて持っていたわけがない。それだけの何かがあってその何かを知る術もなくてなにも知らないその人を思い憂うなんてこともない。ただ、命が消えたその悲しい事実を横目にたくさんの損失とため息の渦が漂った仄暗いホームで私はまた私を嫌いになった。