また傘忘れたよ
音楽を止めた
イヤホンを外して思う、この曲はまた頭から聴こう
覚えていたらの話だが。
用事が終わりイヤホンを耳へ繋ぐ、途中から流れる音楽を聴いて思う、この曲は頭から聴きたいな。
そして思い出す、そういえば少し昔の自分も同じことを考えていたっけ。
こういうことが時々あるとその度に思う、
私はどこまで行っても私なんだなと。
他者が思う私が私を象って私が私を認識し確立していくことは、自分を探す中での道標になることは間違いないのだけれど、それは評価されるときと同じように私以外の大多数の印象が私を私たらしめるのならば、本当の私はどこにいるのだろう。
幸い私は私自身の病的なまでの記憶力の弱さから、私は私であると認識する術を持っているわけでこれは非常に恵まれているなとつくづく思う。
ただ、自身を認識した時に不意に出てしまうにやけ面(勿論外から見れるわけではないので体感の話になるが)だけはどうにかならないものかね私よ。