ばのブログ

フルゆとり世代の俺

届かない文章と謝罪と感謝をここに

今週のお題「母の日」


離れる前の最後に覚えているのはあなたの笑顔です。


幼い頃は父と祖母がいて、その頃のあなたの顔は正直覚えていません。
父と離れることになったあの日
あとにも先にもあんなに泣いたことはありませんでした。

飛行機が目的地につきゲートの先で迎えてくれたあなたとの、私にとっては初めてとも言える出会いは飛行機の酔いからくる私の嘔吐で始まりました。

シングルマザーはめずらしくありません。
訛りの抜けない私の成長にあなたは何を見ていましたか。

人間の環境への適応力には驚くばかりです。
物心がつく頃に訛りは既に抜けていました。
あなたはその頃何をして何を想っていましたか。

幾人かの男の人を見てきました。
父は一人でもあなたが想う人は移り変わります。
幼い私には奥にあるものを見通す力はまだありませんでした。

学校行事、授業参観に部活動。
私は外での居場所をもっていました。
見てほしいわけでも知ってほしいわけでもありません。見てもらったこともありません。
家で話したことも特にありませんでした。

大学が決まった時期にあなたは病気になりました。
少々の入院生活であなたは障害を持ちました。
帰ってきたあなたは遠くの男の人と一緒になると言いました。
あんな顔で笑うあなたを初めて見ました。

止めようとは思いませんでした。
この家が、家庭があなたをどれほど苦しめていたのかを私は微塵も理解していませんでした。

報告から三日後にあなたの部屋は空っぽになり、
私はどこか安心していました。
やっと解放されたんだ、自由に生きてほしいと。

幼かったということを言い訳にはしません。
あなたの時間を自由を奪ったのはまぎれもなく私であり家族です。
手料理の味も知らず、会話の内容も覚えてないけれど懸命に生かしてくれたのだと気づくには遅すぎました。

一度だけ謝罪と感謝を伝えたことがあります。
間に合わなかったことと生かしてくれたこと。

久々に会ったあなたは別人でした。
生まれ変わった人を見たことはありませんが、
私から見れば生まれ変わったと形容してもいいような変わりようでした。

私は家族がよくわかりません。
家族の絆というものがあるのなら私達はごくごく小さなものでしょう。
私は家族が亡くなったときに涙を流せるかを考えることがあります。
取り繕った涙を思い浮かべてしまいます。

あなたが何を想っているかはわかりません。
聞こうとも思いません。
この文章があなたに届くこともないでしょう。

母の日は他の日付と変わらぬただの数字で流れていきました。それが私達にとって一番の母の日であなたの自由と笑顔が崩されないことをこれからも切に願っています。

私が生きているまぎれもない事実はあなたがくれたものです。

届かない文章と謝罪と感謝をここに