ばのブログ

フルゆとり世代の俺

下敷き

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」


流行り病が世の中をかき乱し始めてから久しい。
自宅でおとなしくする時間が増えればその時間を何にあてるのか悩むこともある。仕事柄休みが増えたわけでもないのだけれど。かといって多少は生活も変わるもので、ほらマスクはしないといけなかったりとか、、、うん、あんまり思いつかないんだけど少なくともあまり外出は好まれないわけで、このむし暑くなってきた中でも律儀にマスクを着けていたりする。四季折々色々なことを思い出す中でもマスクを身につけながらの夏は過酷なものだと思うのだが、去年の夏がどうだったかってことは案外覚えていない。しんどいことの継続や更新よりは幾分かましな気もする。

記憶に結びつく出来事はそこらに転がっていてこの暑さも例外なくその一つだけれど、面白いのは「暑い」と「すごく暑い」で浮かんでくる思い出は変わるし、「暑い」+「」になることでその数は膨れ上がる。それが今日の下敷きに繋がったのは言うまでもない。

学生の夏は一際暑くて求めずとも次から次に行事に部活、それと(俺にとっては)少々の勉強が押し寄せてきて、流した汗を正確に量ったら摂取量を大幅に超過しているなんてフィクションも馬鹿にできないんじゃないかと思う。いや、うん、そりゃあり得ないんだけどさ。
平成生まれの学校に備え付けられたエアコンにかじりついて時計に併設された温度計を見ると30度を越えてるなんてこともあって、プラシーボ効果を期待するにしてもそこに現実を突きつける数字を置くのはどうかと思うわけで、窓を開けても地獄、閉めきっても地獄の状況下に次にすがるは自動ではなく手動、デジタルからアナログ、鉄器から石器、令和の学校ってエアコンついてんのか。知らんけど、比較対照をけなしたいわけじゃなくて涼しさを得るのに体温あげてどうすんだってことなんだよ。
そんな文句をだらだら垂れ流しながら自分の手札を確認すると、なかなかに綺麗な教科書とノートにくたくたの筆箱、格好から入ることが多い俺も勉学はその枠組みの外。なら何が使えるのかってそりゃ教科書しかないわけ。重なった紙の強度を信じて左右に振ってみるんだけど弱風を越えてほぼ凪。主人を涼ませる気なんて微塵もない一枚一枚はここぞとばかりに散らばっていく。確かに都合のいい時ばかり協力を要請するのが調子のいいことなのはわかってるんだけどさ、このままじゃ俺の汗で綺麗なあなたたちもぐちゃぐちゃになりますよってそれは脅しになるからやめておこう。そもそも綺麗なことが問題なわけでしっかり使ってやれなかった俺がわるいんだよね。うん。
あー暑い。移動教室で廊下に出れば歩く度に開け放たれた窓からの温風と恵まれた(俺の教室とは違い)教室からの冷風グラデーション。本格的に俺の体を壊しにきてる。次の教室は、、おいおい体育だってさ、これはあれだ終わりだ。終わりだ終わり。終わりの始まりってそれもう死んでないかとか、終わりの始まりは終わってから始まるのかとか、終わりが始まるのかとかそのどっちとも取れる気がするんだけど、あ、だめだ知恵熱、これが知恵熱ってやつか。これから更に体を動かすんですよね。考える知恵熱。じゃー動く熱ってなんだろう。体力熱、運動熱、知恵熱の上昇を確認。考えるのはやめよう。

幸運なことにお昼の学食戦争とは無縁の俺は教室で弁当を食べるわけだけど、学食争奪戦と同時に行われている学食周辺のテーブルを賭けたカースト戦争に破れたわけではないと言うことを前置きしたい。敗れる為には挑戦が必要になるがそもそも挑戦していない。べつにびびってないけどね。もう一度言う。べつにびびってない。
数人の友達が思い思いのお昼を堪能する中であることに気づく。それは今朝からの取っ掛かりの一つでありここで明確にするべきだと思った。みんな同じうちわ持ってねーか。なんで俺だけという疑問よりも先に出てきた感情は羨ましいの一言だった。話を聞くと登校中に学校の前で配っていたと言うのだ。こんなことレッドブルを配ってた(らしい)時もあったな。朝練で登校の時間帯がずれている俺には縁のない話だった。耐えられなかった。エアコンに裏切られ、教科書に裏切られ、友に裏切られた。学校を飛び出し駆けて駆けて風になりたかった。かつてのメロスはこうして風と見紛うほどのスピードを出したのだと錯覚した。机をひっくり返すほどのスピードで中身を物色する。何か、なにか固くて纏まったものはないのか。数学、現代文、なんかよくわからん社会系のやつ、英語、保険、マジでよくわからんやつ、クリアファイル、クリアファイルは薄すぎる。そして各種ノートに行きつき遂にその時が来た。ノートに挟まれていた下敷きがこれほどまでに美しいと思ったことはなかった。角を丸く削った安全な設計。かさばらずかといって薄すぎず、謙虚な中にも自分の役割をしっかりと果たす職人気質な姿勢に心打たれた。運命の出会いなんてものは母数が少ないからこそ胸打ち伝聞されるのであって、本当に大切なことは積み重ねていくことなのだと知った。下敷きは、いや彼はずっと傍にいてくれたのだ。どれだけ粗雑に扱おうと微笑みながら受け止めてくれていた。俺は気づくことができたんだ。正そう。これまでの自分を振り返りこれからに生かすんだ。夏はまだ長い。始まったばかりと言っていい。俺達もこれから少しずつ、それでも確かな絆を築いていくんだ。「ごめん」なんて野暮なことは言わない。「これからもよろしくな」心の中でそう俺は呟き、次の日うちわを持ってきた。





梅雨が明け今年も暑い暑い夏が始まる。
少しだけ大人になった俺の鞄には下敷きが一枚。
額の汗を拭いながら下敷きで扇ぐ。
「うちわは意外とかさばるんだよな~」


今年も夏が始まった。