ばのブログ

フルゆとり世代の俺

形だけの熟成

記事を書こうと思っては手が止まる。
少しだけ溜まってる下書きの最初は一年前だった。興味本位で書き始めて、徐々に好きになって、それがいつの間にか書かなくなった。無理して書くよりはいいんだと思う。
前より頻度は多くないけどこうやってまた記事を書いてる。頻繁に更新してた始めの頃と同じなのは記事を書いている時期の自分は少し苦しいってこと。
苦しくなると文字に逃げたくなる。今思えば不安とか不満とかそういったものを吐き出す場所を探して逃げてきたところがここだったんだと思う。
だからまたここに逃げてきた。矛盾してるように聞こえるかもしれないけど元々溜め込む性格ではないと思う。ただ文字を綴る原動力の大半は負の感情でそれに頼っている部分が大きい。明るい記事を書こうとするとどうも上手くいかないことが多い。
なんでなんだろう。イメージしてイメージしてそれを何かに投影して膨らまそうとしても萎んでいくいっぽうで、登場する人物も物も全てに影が差す。あまり暗く見られることない自分は実はこんなにも暗いんだと認識する。別に暗いことが悪いとも思わない。でも、だとしたら今この表面を覆っている皮の存在に気味が悪くなる。
これは自分でこれも自分。そうやって納得するために表裏一体って言葉を調べてみた。
「相反するかに見える二つのものも元をたどれば一つである。」
「二つの物は切り離せない関係にある。」
この気持ち悪さはどうやったって切り離せないのかもしれない。
自分のことは嫌いじゃない。内から形成される表面。表面に覆われた邪悪。互いを糧に肥大を続ける両面。この気味の悪さはこれからも増していって自分では許容できなくなるのかな。その時自分を嫌いになるのかな。その時は張り詰めた体に針を刺そうと思う。それが積み重ねてきた自分への責任だと思うから。