ばのブログ

フルゆとり世代の俺

悲しい話と終わりの近い悲しさ、俺はどっちで悲しんでるだろう。

残した下書きは全部消した。理由はわからない。
書き終える為に残したものなのにどこかで書き終わらないことがわかってる不思議な感覚だった。
簡単に通った入り口と見えていたはずの出口は今は少しの光も漏らさない。そこで生き続けたいかどうかなんてことをあいつらは発信してこない。あいつらは俺であって俺はあいつらだから。たまには籠ってみるのも悪くない。どうせ出たくなることだってわかってる。だから消してあげる。
無かったことになるわけじゃない。忘れられることが無くなることと同じなら無くなるってことになるけれど、忘れられたからって無くなるわけじゃないって綺麗事を今書きながらも、忘れられ無くならなかった経験を探してみたらそんなものはなくて、思考してみたところで俺の脳のキャパはとうに越えていて、今まさに綺麗事の最終段を蹴った。

映画の2時間とCMの15秒
みんなどっちが濃密だと思う
俺にはわからないけど、俺はどっちでも泣いたよ。