ばのブログ

フルゆとり世代の俺

三度目の正直

1年と20日前に雨が降った。1年と20日後の今日雨が降った。365日とたまの366日は365日とたまの366日を繰り返していて、212日目の雨と湿度は鬱陶しい。
1年が365日とたまの366日っていう周期が割り出されて、そんなことがわかる前は日々のなんとなくを積み重ねて、暗くなって明るくなった回数が1で、それを90と少し繰り返していたら目に見えて何かが変わったりして、試しにもう90と少し数えてみたらまた変わったりして、そして4回目にあの日に戻ってきたから、90と少しを4回過ごしてから会えるあの日はきっと晴れるから、その日は特別なことをしたいと思って、40日を切ったあたりから準備を始めてみた。
思ってたあの日が近づくにつれて思うことはあの日と同じだったりするのかなって考えたりもするけど、あの日はそれまでのことを思ってその周期を過ごしたりはしてなかったから、きっとこの気持ちは初めてと言ってもいいと思う。
20日が過ぎてそこからまた10日と少しが過ぎても懐かしい情景が浮かんでこないのは普通なのかな。それはまた次にわかることなんだね。あの日まで10日を切った。あの晴れた日に会える確信が胸を踊らせて、残りの時間に重石を乗せるんだ。過ごし方で変わる時間は数字で見れば変わらないけれど、確かに速度を変えているって声高に言わずともみんなわかっていると思う反面、コントロールすることは難しくて自在に操っている人はいないんじゃないかな。操れたら、もし操れたなら。遅くする、早くする、それとも止めてしまおうか。あの日に憧れて期待してハードルを上げることは、断頭台に掛かる研ぎ澄まされた刃をより確実に通過させるための助走になる。繋がれたロープに添えられた手は自分だけではなくて、離れていく手を追うことはきっとできないけど、それでも離さず感覚の無くなりかけた手を諦められずにいるのは誰よりも一番あなたが、自分が期待しているからなんだね。
近づく日を意識して、感覚を知覚して始めて気づいたことがある。もうあの日は来ない。これまでの時間はもう来ない。無駄かな。ううん、そんなことない。これでまた歩けるよ。同じ周期の違う日を。何度も何度も。
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