ばのブログ

フルゆとり世代の俺

知った側から減っていく

昔、有名人が死んだニュースを見た。
顔も名前もわからないおじさんやおばさんだった。
たまになんとなく見たことある人が死んでいた。
死が意味することはわからなかった。
死という事実だけがこだまして、以後のことに目をやることも体を掠めた情報を咀嚼することもなかった。
少し成長した夜、死を考えて泣いた。
自分よりも周りの人がいなくなることが怖くて、明け方に泣き疲れて眠った。
歳を重ねていく分だけ人が死んで、また生まれる。
人口は増えているらしい。

今日また有名人が死んだ。
テレビでたくさん見たことがある人だった。
死んでいく人達を知っていることが多くなった。
たくさんのものがたくさん増えていくのに、減っていくことも多くなっていく。
死だけが人を別つものじゃないのはわかってる。
会えるけど会わないみたいなことって実はそこかしこにあって、中には一生そのままってこともある。
それって死んでると同じなのかな。
でもやっぱり死が意味することはわからない。
多分俺も死ぬ。
足された分だけ減っていく。
増えていくものと減っていくものその両方をできるだけ見ておきたい。
どうでもいいことも、大事なことも、きついことも、もちろんうれしいことも。
気づかない内にってのが一番味気ない気がするから。