ばのブログ

フルゆとり世代の俺

隠し薄れる覚悟

比較のしようはなくそれぞれの人生と巡り合わせだと割り切れたらどんなにいいのか。
立ってる位置を重ねても足跡は重ならないし惨めになるのはわかってるのに憧れて妬んで輝くチャンスを不意にする。

成功した人の言葉は成功した瞬間から成功した人の言葉に成ってしまって、いくらかの同量の労を拵えてきた者たちには皮肉となり、大衆の目は羨望と称賛と少々の諦めが交じった数万の刃として刺さる。

響く言葉の核は定かでない過程からの同情だと思うと信じることの難しさを改めることになる。
見せられて見えてるようで見えなくなってそれを感じながらも変えることはできなくて、理解しているのに優しくはできないからそこに行くしかないんだな。

運やなんやと言われてもそれが覚悟で信じられることはないのだけど。